2010年5月28日金曜日

「金毘羅参詣名所図会」に描かれた江戸時代の十王堂


現在、十王堂と称されている地域は、江戸時代、当地の武士団の墓所でした。観音寺城(高丸城)城主、上坂丹波守、上坂勘解由といった人々の墓所が営まれていましたし、足利時代の侍名を記した骨壷なども発掘されています。
明治以降、神仏分離により、嘗ての寺域内に八幡宮の施設が新設された為、その面影は潰えさってしまいました。残念なことです。
合掌。


参考
讃州生駒家家臣 上坂氏
http://iewake.blogspot.jp/2012/06/blog-post_7627.html
合田學校訂 「生駒家家臣分限ノ記」
http://nkdigitalarchives.blogspot.jp/2010/10/blog-post_10.html
合田學著  観音寺市志史料篇-1 生駒氏統治時代
http://nkdigitalarchives.blogspot.jp/2010/06/blog-post_03.html
金毘羅参詣名所図会
http://konpira.blogspot.com/


補遺


旧版「観音寺市誌」に収録されている上坂丹波守の碑。
神仏分離後、墓域は荒廃した。
合掌。

Photo by Goda.
Sentence by Goda.

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